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東京地方裁判所 平成4年(ワ)8453号 判決

原告(反訴被告、以下「原告」という)

川崎孝一

右訴訟代理人弁護士

山下豊二

根岸隆

被告(反訴原告、以下「被告」という)

佐世保重工業株式会社

右代表者代表取締役

長谷川隆太郎

被告

長谷川隆太郎

坪内壽夫

板垣舜二郎

黒田七郎

冨澤定蔵

右六名訴訟代理人弁護士

西本恭彦

鈴木祐一

野口政幹

水野晃

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金五〇三九万円及びこれに対する平成二年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告佐世保重工業株式会社の反訴請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを五分し、その一を被告長谷川隆太郎、同坪内壽夫、同板垣舜二郎、同黒田七郎及び同冨澤定蔵の負担とし、その余を被告佐世保重工業株式会社の負担とする。

四  この判決は、第一、三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  本訴事件

主文第一項と同旨

二  反訴事件

原告は、被告佐世保重工業株式会社に対し、金三億一一〇一万六九〇〇円及びこれに対する平成四年五月一七日(反訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本訴事件は、原告が被告佐世保重工業株式会社(以下「被告会社」という)の代表取締役を退任した際、株主総会において、原告に退任慰労金(退職慰労金)を支給し、その支給額の決定は取締役会に一任するとの決議がなされたにもかかわらず、被告会社の取締役会構成員であった被告長谷川隆太郎、同坪内壽夫、同板垣舜二郎、同黒田七郎及び同冨澤定蔵の五名(以下「被告ら五名」という)が右退任慰労金の具体的な支給に関する取締役会の決議を行わずこれを放置したとして、原告が被告ら五名に対しては、民法七〇九条又は商法二六六条の三に基づき、被告会社に対しては民法四四条一項又は七一五条一項に基づき、役員退任慰労金算定内規による退任慰労金相当額の損害の賠償を求めた事案である。

また、反訴事件は、被告会社が、原告に対し、原告の被告会社代表取締役社長在任中、被告会社佐世保造船所内において一部幹部役員らにより不正伝票操作による横領という組織的不正行為が行われたことを知り、又は知り得る状況にあったにもかかわらずこれを放置したため、被告会社が多大な損害を被ったことを理由として、商法二六六条一項五号に基づき、その損害の賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1(当事者)

(一)  被告会社は、船舶の建造・修理等を主たる業務とし、東京都に本社を、長崎県佐世保市に主たる生産拠点(造船所)を持つ会社である。

(二)  被告ら五名は、昭和六三年六月二九日の第六六回定時株主総会(以下「本件株主総会」という)において、取締役に選任された者のうち常務取締役以上の役職にあった取締役(ただし、被告長谷川隆太郎が代表取締役社長に就任)であるが、平成二年六月二八日任期を満了した(甲二、証人一色誠、同古賀義男、同姫野有文)。

(三)  原告は、被告会社において、以下の役職を務め、昭和六三年六月二九日に、任期満了により同会社を退任した(甲二、原告本人)。

(1) 取締役(昭和四一年一一月から昭和四七年一一月までの六年間)

(2) 常務取締役(昭和四七年一一月から昭和五四年七月までの六年八か月間)

(3) 専務取締役(昭和五四年七月から同年一二月までの五か月間)

(4) 代表取締役専務(昭和五四年一二月から昭和六二年五月までの七年五か月間)

ただし、昭和五五年二月からは佐世保造船所所長を兼務している。

(5) 代表取締役社長(昭和六二年五月から昭和六三年六月二九日までの一年一か月間)

2(本件株主総会)

(一)  被告会社は、本件株主総会において、第四号議案のとおり「原告の取締役在任中の労に報いたるため当社所定の基準により相当額の範囲内で退任慰労金を贈呈することとし、その具体的金額、贈呈の時期、方法等は、取締役会に一任する」との決議(以下「本件株主総会決議」という)をした。

(二)  被告会社の「役員退任慰労金算定内規(昭和五一年第一六一回常務会決定)」(以下「本件内規」という)によれば、取締役の退任慰労金の算定方法は、以下のとおりである(甲二、乙六、原告本人)。

(1) 退任慰労金は、基本慰労金とランク別加算金の合計額とする。

(2) 基本慰労金は、退任時の報酬月額に本件内規別表の支給率を乗じた額の五割増しとする。

(3) ランク別加算金は、以下の役職の在任期間(一年未満は月割計算とし、一月未満は一月に切り上げる)に、それぞれの金額を乗じて得た額の累計額とする。

イ 取締役一年につき、金四〇万円

ロ 常務取締役一年につき、金七〇万円

ハ 専務取締役一年につき、金一〇〇万円

ニ 副社長一年につき、金一五〇万円

ホ 社長一年につき、金二〇〇万円

(4) 特に具体的な功績顕著と認められる役員に対しては、基本慰労金の二割を限度として功労加算をすることができる。

(5) 会社の経営状況その他により、退任慰労金を減額することがある。

(6) 退任慰労金の計算上生じる万円未満の端数は四捨五入するものとする。

(三)  原告の退任時における報酬月額は、金八五万〇四〇〇円であった。

3(催告及びその回答)

(一)  原告は、被告会社に対し、平成元年七年二八日付書面により退任慰労金の支給時期を問いただしたところ、被告会社は、代表取締役社長長谷川隆太郎名義の同年八月一〇日付書面により、慰労金は、第六六回定時株主総会第四号議案において決議されたとおり支払う予定であるが、右慰労金支払の時期・金額については取締役会から処理方を一任された右代表取締役において検討の上、会社再建上妥当と判断された時期をまってこれを決定する旨回答した(甲三、四)。

(二)  その後、再度原告が被告会社に対し平成元年九月四日付書面により退任慰労金を同書面到達後三か月以内に支払うよう催告したが、被告会社は、右代表取締役社長長谷川隆太郎名義の同月二六日付書面により、被告会社の状況から未だこれを実施すべき時期ではないので、なお若干の期間猶予を求める旨回答した(甲五、六。以下(一)の回答と併せて「本件各回答」という)。

4(退任慰労金の未支給)

(一)  しかし、被告ら五名は、原告に対する退任慰労金支給のための取締役会を開催せず、その具体的決議を行わなかった。

(二)  ところで、被告会社の取締役会は、平成四年五月二二日の第二六九回取締役会において、原告に対する退任慰労金の支給を行わないことを可決承認した(乙一二五)。

(三)  その後、被告会社の取締役会は、本件訴訟の口頭弁論終結時(平成六年三月一日)に至るまで、本件株主総会決議に基づく原告に対する退任慰労金の支給決議をしていない。

なお、被告会社の株主総会において本件株主総会決議に基づく原告に対する退任慰労金の支給を取り止める旨の決議はなされていない(証人一色誠)。

二  争点

(本訴事件)

1 被告ら五名の商法二六六条の三に基づく損害賠償責任又は民法七〇九条に基づく不法行為損害賠償責任の有無。

(一) 被告ら五名が、本件株主総会決議に従った退任慰労金支給の取締役会決議を行わなかったことが、取締役の職務執行につき悪意又は重大な過失があるといえるか。

(二) 被告ら五名が、原告に対する退任慰労金の支給につき、右支給に関する具体的な取締役会決議を行わずこれを放置したことが、原告に対する故意又は過失に基づく違法な行為といえるか。

(三) 原告の被った損害額はいくらか。

なお、原告は、昭和五三年八月末日に、一旦常務取締役を退任しているか。

2 被告会社の民法四四条一項(代表取締役の不法行為の場合)又は七一五条一項に基づく損害賠償責任の有無。

3 原告が本訴請求権を行使することが権利の濫用ないし信義則に違反し許されないか。

4 被告会社の反訴請求債権と本訴請求債権との相殺が許されるか。

(反訴事件)

5 原告の商法二六六条一項五号に基づく損害賠償責任の有無。

(一) 原告が、被告会社代表取締役社長在任中、被告会社佐世保造船所内における一部の幹部役員らによる横領という組織的不正行為が行われたことを知り、又は知り得る状況にあったにもかかわらず、これを放置して監視義務(商法二五四条三項、民法六四四条、商法二五四条の三)に違反したか。

(二) 被告会社の被った損害額はいくらか。

三  本訴事件に対する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 被告ら五名は、被告会社の取締役として、善良な管理者の注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条。以下「善管義務」という)ないしは忠実義務(商法二五四条の三)に従ってその職務を遂行すべき義務を有するものであるから、本件株主総会決議に基づき速やかに取締役会を開催し、本件内規に準拠して原告に対する適正な退任慰労金の金額、支給時期、方法等を具体的に決議すべき職務上の義務があるにもかかわらずこれを怠り(商法二五九条一項)、平成二年六月二八日の任期満了に至るまで何らの支給決議をも行わなかったのであるから、その任務懈怠には悪意又は重大な過失がある。

また、被告ら五名が原告に対する退任慰労金の支給に関する具体的な取締役会決議を行わずこれを放置したことは、原告に対する故意又は過失に基づく違法な行為である。

(二) 被告会社は、被告ら五名の右不法行為について、民法四四条一項又は七一五条一項に基づく損害賠償責任がある。

(三) 原告が被った損害は、本件内規に従って算定された左記の退任慰労金相当額(合計金五〇三九万円)である。

(1) 基本慰労金 金三三三一万九八二〇円

① 取締役在任期間 昭和四一年一一月から昭和六三年六月二九日まで少なくとも二一年七か月間

② 支給率 本件内規別表により、以下の合計26.1209

イ 二一年 25.670

ロ 七月 0.4509

ただし、(26.443―25.670)の一二分の七

③ 算定式 金85万0400円×26.1209×1.5

(2) ランク別加算金 金一七〇六万六六六五円

ただし、以下のランク別加算金の累計額。

① 取締役 金二四〇万円

ただし、金四〇万円×六年間

② 常務取締役 金四六六万六六六六円

ただし、金七〇万円×六年八か月間

③ 専務取締役 金七八三万三三三三円

ただし、金一〇〇万円×七年一〇か月間

④ 代表取締役社長 金二一六万六六六六円

ただし、金二〇〇万円×一年一か月間

(3) 以上合計金五〇三八万六四八五円

ただし、本件内規による万円未満四捨五入の端数処分をすると、原告の退任慰労金相当額は金五〇三九万円となる。

(四) 被告会社の昭和六三年三月決算期の損失は金八二億八四〇〇万円であったが、平成二年上半期の中間決算によれば、中間利益として金八億八四〇〇万円が計上されているから、被告会社には経理状況の悪化はなく、原告の退任慰労金が減額されるべき事由も存しない。

(五) 被告の相殺の主張は、不法行為債権を受働債権とするものであるから許されない(民法五〇九条)。

2  被告らの主張

(一) 本件株主総会決議を具体化する取締役会決議をするに際しては、退任慰労金の支給を受ける取締役の在任中の功績や、会社の過去の支給例、会社の経済状態等を考慮して決すべきものである。

しかして、被告ら五名が、原告に対する退任慰労金支給のための取締役会を開催せず、その具体的決議を行わなかったことにつき、以下の正当な事由があった。

(1) 被告会社においては、昭和四〇年代以降の造船不況にあって、関係企業等から派遣された取締役(以下「客員取締役」という)を除いては、退任慰労金を支給する旨の株主総会決議が行われた場合であってもそれを支給した事例がなく、原告もこれを十分承知していた。また、原告と同時期に退任した他の取締役に対しても退任慰労金は支給されていないばかりか、被告会社の経営状況が好転してからも退任慰労金の支給はされてはいない。

(2) 被告会社の本件株主総会決議時の第六六期の損失は、原告の経営失態等が原因で金八三億円を超えており、構造的な不況とも相まって、被告会社は退任慰労金が支払える状況にはなかった。

すなわち、原告は、被告会社に在任中その代表者として、新造船の受注等に当たっては、被告会社に対して損害を及ぼすことのないよう忠実に職務を遂行すべき義務があったにもかかわらず、次のとおりこれを怠った。

① 被告会社は、昭和五五年七月ないし一一月、インドネシアのACTC社から二隻のLPガス運搬船を受注したものの、原告が右契約に付された条件が成就するか否か未定の状態のまま建造に着工することを決定、実施したため、契約失効により金五〇億円に上る損害を被った。

② 被告会社は、昭和五九年一二月ないし昭和六〇年五月、ギリシャのディアマンテ・レモス社から二隻の新造船を受注したが、レモス社からクレームがあり契約船価を値引きせざるを得なくなったとき、原告が独断で半値に近い値引きを行ったため、金三七億円を超える損害を被った。

③ 被告会社は、昭和六二年九月三〇日、損失を被ることが明らかであるにもかかわらず、周囲の反対を押し切ってベルギーのボシマール社から三隻の新造船の建造を受注し、金一八億七二〇〇万円の損失を発生させた。

④ 被告会社は、昭和六三年三月三〇日、損失を被ることが明らかであるにもかかわらずボシマール社からさらに三隻の新造船の建造を受注し、金八億〇六〇〇万円の損失を発生させた。

⑤ 原告は、後任の被告会社代表取締役社長である被告長谷川隆太郎に対し、退任に伴う引き継ぎ事項として、これら①ないし④の事項につき何らの報告も行わなかった。

⑥ 原告は、代表取締役社長在任中、常務取締役稲富弘(以下「稲富」という)と共謀し、不正伝票操作により多額の金員を捻出し、これを着服横領していたとの疑いで捜査が継続している模様である。

(二) 仮に、原告に退任慰労金債権が発生するとしても、被告会社の経理状況等によって原告の退任慰労金は減額されるべきものである。また、原告は被告会社在任期間を昭和四一年一一月から起算して二一年七か月間と計算しているが、原告は昭和五三年八月末日常務取締役を一旦退任し、同年九月一日新たに常務取締役に就任しているから、その起算日を昭和五三年九月一日とすべきである。

(三) 原告は、反訴事件で被告会社が主張しているとおり、原告の任務懈怠により被告会社に損害を与えていた事実を隠し、自らへの退任慰労金贈呈議案を本件株主総会に上程して決議させたものであるから、本訴において退任慰労金債権を主張することは、権利の濫用ないしは信義則に違反し許されないものというべきである。

(四) 被告会社は、平成五年八月三〇日の本件第一八回口頭弁論期日において、反訴請求債権をもって、本訴請求債権と対当額において相殺する旨の意思表示をした。

四  反訴事件に対する当事者の主張

1  被告会社の主張

(一) 原告は、業務執行取締役として、被告会社に対し、善管義務(商法二五四条三項、民法六四四条)ないしは忠実義務(商法二五四条の三)を負担し、他の取締役及び使用人の業務について監視、監督義務を負っている。

ところで、被告会社は、東京都に本社を、長崎県佐世保市に主たる生産拠点(造船所)を持つものであるから、原告は、代表取締役社長在任中、被告会社佐世保造船所に対しても右監視、監督義務を尽くすべきであった。しかして、原告は、代表取締役社長就任前は、右佐世保造船所所長であったのであり、代表取締役社長就任後も月に一度は佐世保造船所に赴きその業務の実態をみていたものであって、しかも、佐世保造船所では、月に一度は損益検討会が開かれ、新造船等の損益状況、全体の損益状況等の情報が提供されていたのであるから、原告の経歴をもってすれば容易に後記不正伝票操作による裏金作りを知り、又は知り得る状況にあったものというべきである。

(二) しかるに、原告は、漫然と業務執行に当たっていたため、次のような被告会社佐世保造船所内における不正伝票操作による組織的不正行為を看過しあるいは、敢えて黙認したため、被告会社に対して総額金三億一一〇一万六九〇〇円にも上る損害を与えたものであるから、商法二六六条一項五号に基づき同額の損害賠償義務を負うものというべきである。

(1) 元取締役大坪一男による不正伝票操作による損害

被告会社取締役兼佐世保造船所経理部長大坪一男(以下「大坪」という)は、佐世保造船所企画管理室主務谷口芳明(以下「谷口」という)らと共謀して、別表(一)「大坪ルート一覧表」記載の不正伝票を別紙「架空伝票一覧表」(一)記載のとおり作成し、次のとおり、昭和六二年七月から昭和六三年五月までの間に、架空ないし不正(水増し)伝票を利用して被告会社の資金を着服横領し、被告会社に対し、総額金一三一八万四八八〇円の損害を与えた。

① 大坪は、昭和六二年五月ころ、本社の稲富常務取締役から、会社として表に出せない裏金が必要なので二〇〇万円を調達するように要請されたとして、谷口に対し、その資金の調達を指示したところ、谷口は、被告会社に対し、食堂管理費を実態より多額に請求してその裏金を作出した。

② 大坪は、昭和六二年九月にも稲富常務取締役からの要請として、谷口に対し、二〇〇万円の調達を指示したところ、谷口は、被告会社に対し、台風による被害を仮装してその修理代金の請求をしてその裏金を作出した。

③ 大坪は、昭和六三年三月にも稲富常務取締役からの要請として、谷口に対し、八〇万円の調達を指示して調達させた。

これらの裏金は、稲富常務取締役に送金されたが、昭和六三年三月の八〇万円については、原告と稲富常務取締役らによりゴルフ等の遊興費に消費されており、このことは、原告も裏金作りを容認していたことの証拠である。稲富常務取締役の指示に基づく裏金作りはその後も継続された。

④ 大坪は、昭和六二年一一月、当時被告会社が受注していた防衛庁向けの艦艇建造において、利益の発生することが判明するや、利益額が大きいと代金を返却しなければならなくなると称して、谷口と実額以上に経費を増額して利益額を減少させる工作をし、被告会社から有限会社豊工業等宛の架空伝票を作成するなどして、下請業者に対し一旦その代金を支払い、下請業者からそのリベートとして右代金の一部の返還を受けて、これを自らのために消費した。

なお、当初に予想された経費や利益に変更が生じる可能性が出た場合に、利益率等との兼ね合いから実際にかける人件費等の必要経費を修正すること(以下「コスト調整」という)は、当時、被告会社で行われていたことであるが、右コスト調整は億単位で行われるので、被告会社では、損益検討会を開催し、代表取締役社長、稲富常務取締役、三甲野隆優佐世保造船所所長、大坪取締役経理部長らの出席を得てその了承を受けていたものである。そして、これが社内の伝票操作だけで行われていれば損害を発生させることはなかったが、これを機に外注業者へ架空伝票を発行したため、それを支払うことにより被告会社に損害を発生させたものである。また、防衛庁からの受注につきコストを調整するということは稀なことであるが、原告は代表取締役として損益検討会に出席していながら、その報告を受け、承認しただけであって何らの検証もしなかった。原告がコスト調整を部下任せにせず、最高責任者として対応していれば、大坪らの不正行為は、十分知り得る状況にあったはずである。さらに、原告は代表取締役社長在任中、佐世保に数十回出張しているが、その都度、大坪と飲食を共にしてその代金支払等を大坪に任せていた。ところで、被告会社では、役員といえども顧客等第三者の接待でなければ役員交際費を使うことができないことになっており、大坪としては飲食代金を何らかの方法で捻出せざるを得なかったわけであるから、原告としても、右役員交際費の規制等から大坪による飲食代金の支払いが裏金によってされていることを十分に知っており、したがって、原告もまた裏金作りに関与していたものといえる。

(2) 元取締役重政宏之による不正伝票操作による損害

谷口は、大坪が管理部門担当であるため、業者への発注権限に制約があることから、大坪指示の不正伝票による裏金作りには限界があったので、取締役兼佐世保造船所造修部長重政宏之(以下「重政」という)に協力を求めるようになった。

重政は当初、川崎社長、稲富常務ら本社からの要請であるとして協力していたが、次第に、自らのための裏金作りをするようになり、別表(二)「重政ルート一覧表」記載の不正伝票を別紙「架空伝票一覧表」(二)記載のとおり作成し、昭和六二年五月から昭和六三年六月までの間に、架空ないしは不正(水増し)伝票を利用して被告会社の資金を着服横領し、被告会社に対し、総額金一億七七六五万三〇一〇円の損害を与えた。

(3) 元調査課課長辻田耕作による不正伝票操作による損害

佐世保造船所企画部調査課課長辻田耕作(以下「辻田」という」は、谷口らと共謀して、別表(三)「辻田ルート一覧表」記載の不正伝票を別紙「架空伝票一覧表」(三)記載のとおり作成し、昭和六二年五月から昭和六三年六月までの間に、架空ないしは不正(水増し)伝票を利用して被告会社の資金を着服横領し、被告会社に対し、総額金八七二三万四二八〇円の損害を与えた。

(4) 元関連企業管理室長尾形征利による不正伝票操作による損害

佐世保造船所関連企業管理室長尾形征利(以下「尾形」という)は、谷口らと共謀して、別表(四)「尾形ルート一覧表」記載の不正伝票を別紙「架空伝票一覧表」(四)記載のとおり作成し、昭和六二年五月から昭和六三年六月までの間に、架空ないしは不正(水増し)伝票を利用して被告会社の資金を着服横領し、被告会社に対し、総額金三二九四万四七三〇円の損害を与えた。

2  原告の主張

(一) 被告ら主張にかかる不正伝票操作による裏金作りは存在しない。

(二) 仮に、これがあったとしても、原告は、次の事情から右裏金作りを知り、又はこれを知り得る状況にはなく、被告会社代表取締役社長在任中の任務懈怠はない。

すなわち、

(1) 佐世保造船所の損益検討会は、各種工事の予算に照らしての資材量、資材価格等の管理を目的として、企画管理室の招集により不定期に開催されるものであるが、その担当取締役は大坪であった。損益検討会の出席者は、主として現場責任者であり、原告は、代表取締役社長に就任後、右検討会に出席したことはない。

(2) 被告会社は、各部門毎に担当責任取締役を、更にその上司として佐世保造船所所長を常駐させる体制をとっていた。各部門毎の担当責任取締役が、部下と共謀してその権限内で不正行為を行ったとしても、その上司である佐世保造船所所長、常務取締役、副社長にも内密でこれが行われた場合には、代表取締役社長といえども、これを発見することは困難である。

しかして、佐世保造船所常勤の最高責任者は、三甲野隆優造船所長であったが、同人においてすら被告ら主張にかかる不正伝票操作による裏金作りを知らなかった。

(3) しかも、原告が、代表取締役社長に在任中の期間についての貸借対照表、損益計算書、営業報告書等については、公認会計士及び監査役各三名が正しい旨の監査報告をしている。右のように、不正行為が監査の専門家たる公認会計士や監査役の調査も擦り抜ける程巧妙になされていた場合には、なおさら原告がこれを発見、防止するなどということは到底不可能である。

第三  争点に対する判断

一  争点1(商法二六六条の三に基づく損害賠償責任又は民法七〇九条に基づく不法行為損害賠償責任の有無)について

1  本件株主総会決議は、任期満了により退任した原告に対し、退任慰労金を支給することとし、その具体的金額、支給時期、方法等を取締役会に一任する旨の決議である。

一般に、退任慰労金が在職中の職務執行の対価とみられる場合であっても、株主総会決議において、明示的に若しくは黙示的にその支給基準を示し、具体的な金額・支払時期・支払方法等はその基準によって定めるべきものとして、その決定を取締役会に任せている場合には、お手盛り防止という商法二六九条の趣旨を潜脱しないと解される(最高裁昭和三九年一二月一一日判決・民集一八巻一〇号二一四三頁)ところ、被告会社には、本件内規が存し、本件株主総会決議においても、右内規に従って相当額の範囲内で支給金額を決する旨の支給基準が明示的に示されている(甲二)のであるから、右決議は有効であるものというべきである。

そして、被告会社代表取締役社長長谷川隆太郎は、本件株主総会決議に基づいてその決議内容を適正に処理すべき職務を有し、また、代表権のない取締役である被告坪内壽夫、同板垣舜二郎、同黒田七郎及び同冨澤定蔵は、取締役会の構成員としての地位に基づき、取締役会に上程された事項にとどまらず、代表取締役の業務執行一般につき監視し、必要があれば、取締役会を招集しあるいは招集することを求め、取締役会を通じて業務執行が適正に行われるようにする職務を有することは明らかであるから(最高裁昭和四八年五月二二日判決・民集二七巻五号六五五頁)、被告会社の取締役であった被告ら五名は、特段の事由のない限り、取締役としての善管義務(商法二五四条三項、民法六四四条)ないしは忠実義務(商法二五四条の三)に基づき、右決議に従って、取締役会決議により、本件内規に基づいて原告に対する退任慰労金を算定し、その支給時期、方法等を具体的に定めるべき義務が生じたものというべきである。

2  ところで、本件内規には、退任役員に対する退任慰労金の算定基準は示されてはいるものの、その支給時期、方法に関する規定は置かれてはいないが(甲二)、このような場合、支給時期等は、退任慰労金の支給を取締役会に一任した株主総会決議の趣旨及びそれを踏まえた取締役会の合理的な裁量によって決せられるものと解するのが相当である。したがって、取締役会が右支給に関して十分合理性のある条件を付し、あるいは取締役会決議のために必要な準備期間につき右支給を留保するなどの合理的な理由の存する場合には一定の期間その支給を留保することも許されるものというべきであるが、右合理的期間を経過するも、右決議の実行を放置することは、特段の事由のない限り、前記取締役の善管義務ないしは、忠実義務に違反し、任務懈怠を構成するものといわなければならない。

この点について、原告は、取締役会決議のための期間を、株主総会決議当時の取締役である被告ら五名の任期満了時まで(二年間)とすべきものと主張する。しかし、取締役会の一体性からして右期間を取締役会の構成員たる各個の取締役の任期にかからしめることは妥当ではなく、これは被告会社における取締役会開催の実情や過去の退任慰労金支給事例等に照らして判断すべきものである。

しかして、前記争いのない事実等によると、被告会社は、原告に対し、本件各回答をもって退任慰労金の支払義務を認めた上、その支払の猶予を求めていることが明らかであるところ、さらに証拠(乙六、原告本人)によれば、被告会社は、造船業界随一の経営規模を誇る会社であり、およそ月に一回の割合で健全な態様において取締役会が開催され、取締役会による業務の執行の状況報告や業務執行の意思決定等がなされていたこと、昭和六二年六月二六日第六五回株主総会決議によって決議された監査役に対する退任慰労金の支給に関する稟議は、翌月八日には決裁が下りていること等の事実が認められる。そして、かかる事情を総合勘案すると、遅くとも前記原告の主張にかかる平成二年六月二八日の時点において、退任慰労金の支給に関する具体的な取締役会決議がなされていてしかるべきであり、これがなされていない以上、退任慰労金の不支給が高度の蓋然性をもって顕在化しているものというべきであるから、特段の事由のない限り、右時点において被告ら五名は取締役の任務を懈怠したものというべきである。

3  そこで、被告ら五名が原告の退任慰労金支給のための取締役会決議を相当期間内にしなかったことにつき、正当な事由が存したか否かについて検討する。

(一) 被告らは、昭和四〇年代以降、造船業界は構造的不況の渦中にあって被告会社の経営状況はすこぶる低迷し、その経済状態は極めて劣悪であったから、前記客員取締役を除いては、退任慰労金を支給する旨の株主総会決議が行われた場合であってもそれを支給しない慣行になっていた旨主張するが、右慣行を認めるに足りる的確な証拠はない。

かえって、証拠(乙一二六、原告本人)によれば、被告会社における第四八期(昭和四七年度)から、原告が代表取締役社長を務めた第六六期(昭和六二年度)の前の第六五期(昭和六一年度)までの間は、退任慰労金を支給する旨の株主総会決議が行われた場合には、経営状況が劣悪であったにもかかわらず、すべて右慰労金の支給がなされていたことが認められるばかりか、仮に、右株主総会の決議がなされたにもかかわらず、退任慰労金が支給されなかった例があったとしても、弁論の全趣旨によれば、それは、退任慰労金の支給決議を受けた退任役員が被告会社の経営状況を慮り、自らの意思で受領を自粛していたにすぎないものとみるのが相当であるから、被告らの前記主張は失当である。

(二) また、被告らは、被告会社の第六六期の損失は、原告の経営失態等が原因で金八三億円を超えており、構造的な不況とも相まって、被告会社は退任慰労金が支払える状況にはなかった旨主張している。

しかし、証拠(乙一二六)によれば、被告会社の第六七期(昭和六三年度)の利益は一億三〇〇〇万円(経常利益は二六億円)を、第六八期(平成元年度)の利益は七億三〇〇〇万円(経常利益は一四億円)を、第六九期(平成二年度)の利益は二二億円(経常利益は四八億円)を超えていることが認められる。

したがって、被告会社の経営状態は着実に回復している上、被告らの主張する原告の経営失態とは高度に技術的な経営判断にかかわるものであり、結果として被告会社が損失を被ることになったからといって、直らに原告に対してその責任を追求し得る性質のものではないというべきである。さらに、証拠(甲一、三ないし六、乙一二六、証人一色誠、原告本人)によれば、被告らの主張にかかる前記新造船の受注については、関係取締役の稟議を経て決定されたものであり、もともと赤字の恐れはあったものの、造船業界の構造的不況にあって被告会社における仕事量の確保のために受注されたものであること、第六六期の金八三億円の赤字決算は、第六五期が赤字決算であったことから、連続三期赤字が続くと官公庁からの受注が受けられなくなるとの経営判断からこれを回避すべく、公認会計士と協議の上で第六六期に不良債権を大量処理したことから生じたものであること、第六六期の監査役の監査報告書には、取締役の職務遂行に関し、不正の行為又は法令若しくは定款に違反する重大な事実は認められない旨の監査報告がなされていること、右の決算処理に当たっては株主総会においても特に問題視されたことはなく、この赤字決算を前提として、原告に対する退任慰労金の支給決議がなされていること、被告会社は、原告からの度重なる退任慰労金支払の催促に対して、本件各回答をそれぞれ行っていること、本件各回答の時点において被告会社の取締役会が原告への退任慰労金の支給に関する具体的な決議を行っていなかったのは、専ら被告会社の経営状態に起因していたものであり、基本的には右慰労金を支給する意思で調整が進められていたことが認められる。

(三) 次に、被告らは、原告が、代表取締役社長在任中、稲富常務取締役と共謀して不正伝票操作により多額の金員を捻出し、これを着服横領していたと主張するが、原告が右横領事件に何らかの関与をしていたことを認めるに足りる証拠がないことや、その不正行為を知り、又は知り得べき状況にあったものとは認められないことは後記のとおりであって、被告らの主張は理由がない。

4 そうすると、本件退任慰労金の支払凍結には何ら合理的な理由はなく、本件株主総会決議に違反するものであり、前記のとおり、遅くとも平成二年六月二八日には、被告会社の経営状態も回復して原告に対する退任慰労金の支給に何らの支障もなくなっている以上、右決議を放置した被告ら五名の取締役は、本件株主総会決議に従って原告に対する退任慰労金の具体的な金額、支給時期、方法等を定めるべき義務に違反した任務懈怠があるものといわざるを得ず、右放置には何らの合理性がないことは、わずかの注意を払えば容易に知り得たものといえるから、被告ら五名には右任務懈怠について少なくとも重大な過失があるものというべきである。

また、原告に対する退任慰労金の支給についての取締役会決議がない限り、原告が被告会社に具体的金額の退任慰労金を請求できない上、被告会社が原告に対し本件各回答をしながら、被告ら五名が右決議に向けて通常期待されるべき努力を長期間にわたり怠っている本件事案においては、右任務懈怠は原告に対する直接的な加害行為であると認めるのが相当であり、少なくとも過失に基づく違法な行為というべきであって、商法二六六条の三に基づく損害賠償責任及び民法七〇九条に基づく不法行為損害賠償責任は競合し得ると解するのが相当である(最高裁昭和四四年一一月二六日判決・民集二三巻一一号二一五〇号頁)。なお、本件株主総会決議が取り消されていない以上、被告会社の取締役会が平成四年五月二二日の第二六九回取締役会において原告に対する退任慰労金の支給を行わないことを可決承認したとしても、被告ら五名の右損害賠償責任が免責されるものではないというべきである。

5  そこで、原告の被った損害額について判断する。

被告らは、原告が昭和五三年八月末日に一旦常務取締役を退任したから、同人に対する退任慰労金の算定起算日は同年九月一日である旨主張し、その根拠として昭和六二年六月二六日に退任した土井監査役に対する退任慰労金の算定に当たっては昭和五三年八月末日の被告会社の役員総退陣をもって一旦解任とみなしていることを挙げている。

しかし、証拠(乙六、一二六、証人一色誠)によれば、土井監査役に対する退任慰労金の算定に当たっては、便宜上、原告及び土井監査役以外の村田章取締役ら六名が経営責任をとって退任した昭和五三年七月二五日及び山中敬取締役ら三名が退任した同年八月二九日(同日、臨時株主総会が開催されている)に直近する同月末日をもって退任の扱いで事実上計算するものとされていたものにすぎず、土井監査役が同日に監査役を退任したものとすることはできない。さらに、証拠(甲八、一〇、証人一色誠、原告本人)によれば、原告が同日、常務取締役を退任していないことが認められるから、被告らの主張はその前提を欠き失当である。

ところで、本件内規に規定されている退任慰労金の功労加算や減額は、退任役員の在職中における特に顕著な功労や被告会社の経営状況等を勘案して、退任慰労金を一定の限度内で増減できるという取締役会の裁量に属するものであるが、被告会社の取締役は、本件につき、その裁量権を行使して慰労金の具体的な金額を決議していないのであるから、本件においてこれらを原告の損害額の算定上考慮することは相当ではないものというべきである。

そうすると、前記争いのない事実等に加えて、証拠(甲二、乙六)によれば、原告の損害金額は、原告主張の計算のとおり金五〇三九万円と認められる。

二  争点2(被告会社の民法四四条一項又は七一五条一項に基づく損害賠償責任の有無)について

以上のとおり、被告ら五名の任務懈怠は不法行為を構成するものであるから、被告会社は、少なくとも代表取締役社長被告長谷川隆太郎の不法行為につき民法四四条一項に基づいて損害賠償義務を負うものというべきである。

三  争点3(権利濫用ないし信義則違反)について

後述のとおり反訴事件で被告会社が主張している原告の任務懈怠はないから、被告らの権利濫用ないし信義則違反の主張は、その前提事実を欠き失当である。

四  争点4及び5(原告の商法二六六条一項五号に基づく損害賠償責任の有無並びに本訴請求債権との相殺の可否)について

1  証拠(〈書証番号略〉、証人一色誠、同古賀義男、同姫野有文、原告本人)によれば、以下の事実が一応窺われる。

(一) 被告会社佐世保造船所内において、幹部役員等を含めて三〇数名が関与して、不正伝票操作により多額の裏金を作出し、多額の使途不明金を出すといった組織的不正行為が行われていた模様であるが、右関与者らは、使途不明金が被告会社内の監査で発覚するのを防止するため、コンピューターを使用して、被告会社の人件費支出の単位である工数の調整を行い、社内の監査役や公認会計士による監査をかい潜り、不正行為の発覚を免れていた。

(二) 右組織的不正行為は、結局、平成元年五月ころ、被告会社の社長や役員宛に原告の前任の被告坪内壽夫社長時代の不正行為を糾弾する目的で爆破通告等の怪文書が送付されてきたことから、同年九月に被告会社内で会社経営の妨害者探索のための調査委員会が設立され、金銭に限らず、あらゆる社内での不正行為の調査が行われた際に、資材部の伝票調査により発覚することとなったものであるが、幹部役員による不正行為の隠滅工作や、コンピューターを使用した損益操作等により、末端の伝票を個別的に調査しない限りは、決裁書類等による上層部の監査にはかかりにくく、極めて発見が困難になるように工作されていた。

(三) 被告会社においては、人為的なコスト調整が発覚した後も、未だ、決算のやり直し等は行われておらず、本件不正行為の関与者の調査も続行中であるなどのため、本件不正行為の詳細な態様や使途不明金の行方等の事件の全貌は未だ掴みきれてはいない。

2  以上の事実によれば、被告会社内部において、幹部役員を含む多数者が多額の使途不明金を出すといった不正行為を行っていたことが一応窺われるが、本件全証拠をもってしても、それが、被告らの主張にかかる別表(一)大坪ルート一覧表」、同(二)「重政ルート一覧表」、同(三)「辻田ルート一覧表」、同(四)「尾形ルート一覧表」並びに別紙「架空伝票一覧表」(一)ないし(四)記載のとおりの共謀者間で、右記載のとおりの実行行為者、時期、発注先、金額でなされたものと断ずることは到底できない。

しかも加えて、原告が前記組織的不正行為を知悉し黙認していたこと、あるいは原告がこれに何らかの関与をしていたことを認めるに足りる的確な証拠もない。

3  次に、被告らは、原告が代表取締役としての部下に対する監視、監督義務を怠り、善管義務(商法二五四条三項、民法六四四条)ないしは忠実義務(商法二五四条の三)に違反していると主張する。

ところで、商法二六六条一項五号の規定によりその責任を追及するには、法令又は定款に違反する行為につき取締役の故意又は過失を必要とするものと解するのを相当とする(最高裁昭和五一年三月二三日判決・金融・商事判例五〇三号一四頁)ところ、右監視、監督義務違反の判断の前提として、原告が一応窺われる前記不正行為を知り得べき状況にあったか否かについて検討する。

(一) この点について、被告会社は、原告が、現業部門の実際の作業が予算通りに行われているか否かを検査するために佐世保造船所内で毎月開かれる損益検討会に出席しており、仮に、出席していなかったとしてもその資料は受け取っていたのであるから、伝票の一枚一枚を検査することが代表取締役社長の職務とはいえないにしても、社長があくまでも会社の統括責任者である以上は、新造船や修繕船で赤字が出た場合には、その原因追求を伝票にまで踏み込んで調査していれば、本件不正行為を発見し得た旨主張する。

しかし、前記認定のとおり、原告が被告会社代表取締役社長在任中の第六六期における業務についての監査役の監査報告書には、取締役の職務遂行に関し不正の行為又は法令若しくは定款に違反する重大な事実は認められない旨の報告がなされているほか、原告が被告会社代表取締役社長時代に損益検討会に出席していたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) しかも、証拠(甲一、乙一二九、証人一色誠、同古賀義男、同姫野有文、原告本人)によれば、被告会社には佐世保造船所所長及び所長代行の職が置かれており、実質的に佐世保造船所内を統括していたのは所長代行であったこと、工数調整で水増しされていた時間外労働の直接の管理者は各部門の課長ないしは部長であること、佐世保造船所で開かれていた損益検討会へ出席することとされていたのは、各部門担当の取締役、部長、課長らほか、本社の稲富取締役であること、損益検討会では特に予測に反して大幅に赤字が出たなどという事態が問題にされたことや作成資料がおかしいなどという話が出たことはなく、ただ一度昭和六三年二月ころ、工数に問題があのではないかとの佐世保造船所担当森取締役からの問題提起に対しても、重政所長代行がこれを揉み消して、このことは結局被告会社取締役会には上程されずに終わったこと、本件不正行為は佐世保造船所の幹部役員らが関与して行っていた組織的なものであり、佐世保造船所を統括する三甲野隆優所長ですらその発見ができなかった程巧妙に画策されたものであったこと、被告会社の取締役会においては総合的な決算関係が中心に討議され、その細目については、取締役から何らかの問題提起がなされた場合に限って検討されていたところ、本件不正行為を匂わせる問題提起は何らなされてはいなかったこと、稲富取締役は経理の専門家であり、同人による、被告会社の経理には何ら問題はないとの報告を原告は信頼していたこと、原告の佐世保造船所における具体的な職務は月一回三日間程度、銀行や得意先へ挨拶に回ったり、新造船の進水式の行事等に参加するなどしたりする程度にすぎなかったこと、被告会社における会計監査は、年二回、公認会計士四名程が一週間がかりで監査役らの立会いの下精査していたものであり、公認会計士、監査役等からも被告会社の経営に関し特段の問題点は指摘されてはいなかったこと、原告自身が伝票を調査したことはなかったことが認められている。

右認定事実に徴すると、佐世保造船所における損益検討会は、各種工事の予算に照らしての資材量、資材価格等の管理を目的とするものであって、出席者も主として現場責任者であったほか、被告会社においては、各部門毎に会社の業務執行が適正に行われていることを一般的に確保するための社内監視体制として部門別に担当責任取締役が定められ、その上に取締役佐世保造船所所長及び所長代行を常駐させる体制をとっていることが明らかである。

(三) したがって、佐世保造船所において、各部門毎の担当責任取締役等の幹部役員らが、その部下と共謀してその権限内で不正行為を行ったとしても、その上司である佐世保造船所所長や本社社長らに内密でこれが行われており、しかも、その期間についての貸借対照表、損益計算書、営業報告書等について、公認会計士、監査役とも、何ら問題はないとの監査報告をしているのであるから、たとえ代表取締役社長といえども、本件不正行為を発見することは極めて困難であったものというべきである。

なお、被告会社は、原告が稲富取締役らとともにゴルフをしたり、大坪取締役らとともに会食したりした費用を支払っていないことをもって、原告が本件不正行為を知り、又は容易に知り得たことの証拠である旨主張しているが、これだけの事実から原告の関与ないしは不正行為の発見、是正の可能性を認めることはできないものというべきであって、他に原告が前記不正行為を知り、それを是正し得たことを認めるに足りる特段の事由を認めるに足りる証拠はない。

4  してみると、原告には善管義務(商法二五四条三項、民法六四四条)ないしは忠実義務(商法二五四条の三)違反はなく、何ら法令違反はないから、反訴請求にかかる損害賠償の請求は理由がなく、したがって、反訴請求債権の存在を前提とする被告らの相殺の主張も失当である。

五  結論

以上の次第で、その余の点について判断を加えるまでもなく、被告らは、原告に対し、不法行為損害賠償として、連帯して金五〇三九万円及びこれに対する平成二年六月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、被告会社の反訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福井厚士 裁判官河野清孝 裁判官菊池章)

別紙〈省略〉

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